『土曜の夜はパラダイス/EPO』 [邦楽ロック/80年代]
ハイ、どうも。
全国推定7千万の土曜日ファンの皆さん、お早うございます。
一週間で一番好きな曜日は土曜日です。
そんな人は多いんじゃないか、と思います。
ちゃんと調べたことは無いですが、音楽の世界で《土曜日》や《日曜日》をテーマにした曲は結構多いと思います。
特に、まだ現在のように週休二日制が導入される以前の80年代。
完全な休日だった日曜日に対し、土曜日は“半ドン”と呼ばれ、学校などの教育機関では授業が半日で終わり、楽しい週末の始まりでした。
社会人にとっても休日前の夜は平日の夜よりも仕事を忘れ、開放的な気分を味わえる日でした。
そんな自由な曜日、土曜日の魅力を様々な角度から音楽に封じ込めた楽曲たち。
名前をつけてやる、
【土曜日のシングルたちへ】。
土曜日好きが高じて土曜日にまつわるシングル盤を探し求めて三千里。
前回の『土曜日の恋人』に続いてはEPOさんの『土曜の夜はパラダイス』を取り上げましょう。
ご存知の方も多かろうと思いますが、この曲も《オレたちひょうきん族》のエンディングテーマとして流れていました。
何しろEPOさんはレギュラー化された同番組の初代エンディングテーマ『ダウンタウン』を担当してました。
勿論シュガーベイブのカヴァーバージョン。
ディスコ仕立てのゴキゲンなサウンドでした。
そして今回彼女のオリジナルソングによる《土曜日の歌》が制作されてエンディングに採用されました。
EPOさんはタケチャンマンのテーマソングも手掛けていましたっけ。
それはさておき、『土曜の夜はパラダイス』。
土曜日の夜を“天国”だと言い切っています。
パラダイスであることを証明すべく、とことんポップなサウンドに仕上がってます。
恋に遊びに夢中な若者たちにとっての土曜日の夜の得体の知れない高揚感を如実に上質なソングライティングで結実させた一曲。
何度聴いてもウキウキしてしまう魔法が詰まっています。不思議。
元気はつらつなEPOさんのヴォーカル。
そして彼女の高校時代の先輩であり名アレンジャー・清水信之氏の華麗なる編曲が冴えまくっています。
これでもかこれでもかと言わんばかりの転調攻撃。
ストリングスアレンジは乾 裕樹氏。
間奏前のEPOさんの多重コーラス、ちょっとサバンナバンドっぽくてさらに盛り上がります。
エンディングのロングトーンも技あり!
と、同時にこの曲が流れていた1980年代初頭の前向きで明るいパワーも感じない訳には行きますまい。
景気が上向きだった時代。
当時も様々な問題が政治や生活レベルで溢れていた訳ですが、何だか振り返ってみると明るいイメージが湧いてきます。
音楽もそうです。
レコード全盛であり、携帯型のカセット・プレイヤー〈WALKMAN〉の普及で益々音楽と生活が密接に感じられていた時代でした。
1983年のアルバム『VITAMIN EPO』収録。
このアルバムも最高です。
続いてはB面曲『うわさになりたい』。
爆風スランプに同名曲がありましたっけ。
これは1982年の同名アルバムのタイトルナンバーでもあります。
そちらは『う・わ・さ・に・な・た・い』表記ですが。
ラテンの味付けを少々施したミディアムテンポのポップナンバー。
ここでも彼女のメロディセンスに脱帽です。
素晴らしい。
友達同士がそれぞれの恋人を誘って、集団でドライヴ。
自慢のパートナーを持つ優越感を歌っています。
現在もマイペースで活躍されて、数年前には土岐麻子さんへの提供曲『Gift〜あなたはマドンナ〜』の名曲ぶりで健在を示しました。
明るい曲も哀しい曲もEPOさんの歌唱とメロディにはグッと来てしまいます。
素晴らしいGIFT(才能)の持ち主。
これからもどうぞお元気で。
それでは皆さん、はばないすさたでー!
『土曜の夜はパラダイス』《RHS-541》〈作詞・作曲:EPO/編曲:清水信之/ストリングス編曲:乾 裕樹〉(04’07’’)【1982】
EPO う・わ・さ・に・な・り・た・い [Blu-spec CD2] タワーレコード限定盤
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タグ:土曜日のシングルたちへ。
『電話しても/村田和人』 [邦楽ロック/80年代]
こんばんは。
村田和人さんがお亡くなりになりました。
御病気が悪化されて帰らぬ人となりました。
近年は短いスパンでコンスタントに新作を発表されていました。
これからもずーーっとお元気だと思ったのですが。
そのどの作品も夏や太陽をイメージした明快なサウンド、そして瑞々しい歌声。
病に蝕まられているコトを悟らせないような旺盛な創作意欲で。
湿っぽい文章は村田さんに失礼ですね。
元気に参りましょう。
村田和人さんの音楽を知ったのは達郎さんの手掛けられた作品を通じてでした。
デヴューは達郎さんが発足したレーベル“MOON”からでした。
そのデヴューシングル曲を紹介したいと思います。
『電話しても』。
デヴューアルバム『また明日』の一曲目、アレンジも達郎さんです。
聴けば達郎さんが担当してるのが良く判ります。
この曲は大好きで大好きで、これまで何度もリピートして聴きました。
村田さんの曲には好きな曲が多いですが、シングルではこの曲が一番。
センチメンタルな片想いソング。
電話越しに想いを伝えようと試みるも、毎回告げられずに終わってしまう男の悲哀。
僕もこういう経験が学生時代あったので実にリアルです。
そんな切実な気持ちを癒してくれるメロディラインの素晴らしさ。
決して明るくはなく翳りのある旋律ですが気分が落ち着くのです。
村田さんのソングライティングの才能が遺憾なく発揮されていますね。
なんと19歳の時の作品だそうです。
この曲は達郎さんもお気に入りで、この曲を聴いて、もしも村田さんがデヴューしていなくてもこの曲をご自身で歌いたいと思ったそうです。
聴けば判る達郎さんの鉄板ギタープレイ。
間奏のギターソロも音数が少ないのが味わい深い。
ハモンドオルガンも達郎さん。
リズム隊は青山純さん、伊藤広規さんコンビ。
シンプルなコンボ演奏が楽曲の良さを引き立てています。
村田さんのややソフトな歌い方もイイですね。
数年前にアルバム『また明日』が紙ジャケットで再発されたときに、ボーナストラックでこの曲のデモバージョンが収録されていました。そちらは鈴木 茂さんがアレンジしています。
茂バージョンは16ビートの跳ねた演奏で展開されています。
ギターも勿論茂さんが弾いてます。
アレンジは少し派手な感じがします。
茂バージョンが悪い訳ではないですが、
原曲の悲恋の世界観にはやや内向的な達郎アレンジの方が僕は好きです。
それにしても一曲に達郎さんと茂さんという二大ミュージシャンがそれぞれにアレンジしたバージョンが残っていてそれを秤にかけるとは実に贅沢な時代だったのでしょう。
今では考えられないコトです。
それだけ音楽が豊かな時代だったという事だと思います。
B面は『波まかせ風まかせ』。
こちらもアルバム『また明日』収録曲。
作詞は新井正春さん、アレンジは村田さん。
ビートルズが好きな村田さん、これはポールの『Honey Pye』風のオールドタイミーな曲調。
村田さんご自身の多重コーラスも爽やか。
アルバムでは茂さんが編曲していますがそれほど違いはありません。
村田さんの生前最期のアルバムは2014年の『P-CAN』でした。
作詞は安藤芳彦さん、田口 俊さん、ギターに山本圭右さんと、長年村田さんの楽曲やサウンドを支えてきたお馴染みのメンツでの相変わらずのフレッシュなサウンドが聴けました。
このアルバムを僕は東京は武蔵小山のペットサウンズで購入しました。
このアルバムはライヴ会場とペットサウンズでのみ入手可能なアルバムで、購入したときに付いてきたペットサウンズ限定のリーフレットには村田さんへのインタビューが掲載されていて、次の作品の具体的な構想も語られていました。
その志は叶えられなかったのですが、最後の最後まで音楽へのパッションを失うことなく前を向いて生きておられた村田さんには尊敬の念を抱かずにはいられません。
結果として目的が実現したか否かの違いでしかなく、その人生に悔いはなかったと思います。
その生命の輝きこそが村田さんの夏、太陽そのものなのです。
これからも大切に音楽を聴いていきます。
ありがとう。
達郎さんは先週のラジオで最後に『一本の音楽』をオンエアされました。
ライヴではその曲を弾き語りで唄われたそうです。
『電話しても』《MOON 701》〈作詞・作曲:村田和人/編曲:山下達郎〉(03’47’’)【1982】
村田和人 コンプリートEPコレクション ~MOON YEARS~
- アーティスト:
- 出版社/メーカー: イーストウエスト・ジャパン
- 発売日: 2002/02/27
- メディア: CD
『FROM A TO HEAVEN/岸 正之』 [邦楽ロック/80年代]
「イヤッホーィ!!!」
こんばんは。
待望のレコードがCD化されました。
岸 正之さんの二枚のアルバム。
『Warm Front』(1982)と『Pretender』(1984)。
岸さんが作曲家として活躍される以前に、シンガーとして活動していた時期の作品です。
ビクターから二枚のアルバムと二枚のシングルを残していまして、その時代の全ての公式音源がCD化されました!
『ラストダンスはヘイジュード/ザ・キングトーンズ』 [邦楽ロック/80年代]
ども、こんばんは。
今夜も大滝さん特集です。
今回も大滝さんのユニークなプロデュースワークをご紹介。
前回に続き、ビートルズ繋がり。
ポール・マッカートニー祝再来日も兼ねときましょう。
キングトーンズと大滝さんの交流は70年代から。
『ナイアガラ・ムーン』以降、たびたびレコーディングでコーラスとして参加しています。
彼らは80年代初頭、大滝さんのプロデュースで2枚のシングルをリリースしています。
一つは『Doo Wop Tonight 』。
ダイレクトカッティング・レコーディングによるドゥーワップの名曲カヴァーのカップリングでした。
もう一つが今回のシングル。
『ラストダンスはヘイジュード』。
ドリフターズの『Save the last dance for me』とビートルズの『Hey Jude』のドッキング。
ジャケットからして凄い。
ビートルズとドリフターズとキングトーンズが一緒に温泉に浸かってます。
いい湯だな~(それは違う方のドリフターズ。)
イラストは勿論、湯村輝彦氏(ロンバケのジャケットのパターンも手掛けてます)。
アートディレクションは安斎 肇氏です。
当時、このシングルがリリースされたSMSレコードのデザイン部に所属していたそうです。
プロモ盤では全裸のイラストが使われて会社の上司に叱られたとか。
大滝さんは音楽活動、DJ活動、そして評論活動を通じて、ロックンロールの歴史を体系的に語られてきました。
日本での“ビートルズ至上主義”による間違った歴史観へのアンチテーゼの意味もあったと思います。
その史観は達郎さんや元春のDJスタイルにも共通しています。
とにかく圧倒的なリサーチ力で様々な角度から音楽を追及されてきた大滝さん。
ビートルズは50年代末~60年代初頭のアメリカのロックンロール、リズム&ブルース、ガールグループなどのヒット曲にかなり影響を受けてきたのはわざわざ僕が言うまでもなく、有名です。
ゴフィン&キング、バリー&グリ-ンウィッチ、マン&ワイル、ポーマス&シューマン、リーヴァ―&ストーラー、等々当時のヒット曲を生み出してきた作家チームにも目配せしていました。
初期の演奏のレパートリーには当時のヒット曲のカヴァーも多く見受けられます。
彼らのヒット曲を研究しての優れたオリジナルソングが数多く生まれたのですね。
実際『Hey Jude』を書いたポールの念頭には『Save the last dance for me』の曲があったとか。
コード進行も似ています。
この様に音楽(だけにとどまらず芸術全般に)いうのは常に模倣から始まり、さまざまな影響を受け合って、換骨奪胎、試行錯誤、淘汰を繰り返して現在、そして未来に続いているのでしょう、と判った風に。
それを踏まえての『ラストダンスはヘイジュード』。
『Save the last dance~』のオリジナルバージョンを基調にしながら、
2曲が密接に、分かちがたく、糾える縄の如くに1曲として結びついている、多羅尾伴内アレンジ。
キングトーンズの面々の勝手知ったるヴォーカル&コーラスワークも見事。
『ラストダンスは私に』と『ヘイジュード』の2曲を繋げるのはただ単に、似ているからというだけではなく、
60年代初頭と末期のヒット曲を繋げることで、分業制だった楽曲制作がやがて自作自演/セルフプロデュースに移行していく60年代の流れをそれとなく示唆している気もします。
ドク・ポーマス&モート・シューマンからレノン-マッカートニーへ。
こうしたアイディアを単に言葉だけで発表するのではなく、具現化できるのが大滝さんの叡智です。
のちにジョン・レノンはドリフターズのメンバーでもあるベン・E・キングのヒット曲『Stand by me』をカヴァーしますね。
プロデュースに関わったフィルスペクターはドリフターズをプロデュースしたリーヴァ―&ストーラーの弟子にあたります。
B面は『グッドナイト・ベイビー』のイングリッシュバージョン。
彼らの大ヒット曲を英語で。
内田正人氏の不滅のヴォーカルスタイル。
息の合ったコーラスワーク。
この曲は子供のころから、いつまにか覚えていたヒット曲でした。
海外のリズム&ブルースの魅力を損なうことなく、見事に日本人好みの歌謡曲に換骨奪胎している名曲だと思います。
因みに僕が所有している盤は90年代中期に出たリイシュー盤です。
『ラストダンスはヘイジュード』《MOR-6917》〈作詞・作曲:Pomus-Shuman, Lennon-McCartney/編曲:多羅尾伴内〉(03'23'')【1981】
『らくだ / ヤシの木かげ/爆風スランプ』 [邦楽ロック/80年代]
こんばんは。
もう六月も終わりですね。
今年も半分終わっちゃいました。はぁ。
という訳で、六月にまつわる思い出のシングルを。
ひさしぶりに12インチを取り上げましょう。
出ました、爆風スランプ。
『東京ディスコナイト/スクーターズ』 [邦楽ロック/80年代]
こんばんは。
昨今は往年のバンドの再結成が盛んですね。
今は賛否両論と云うより《賛》の方が勝っているような。
90年代辺りはまだ《再結成》と云う言葉にはネガティヴなイメージがつきまとっていましたが。
《赤信号 みんなで渡れば 恐く無い》、なんてツービートの標語じゃないですが、再結成しないバンドの方が珍しい気もします。そんなことないか。
保守的な音楽ファンを相手にした美味しいビジネスモデル。
こんなことを書いたら怒られますね。
ご免なさい。
色んな要因が考えられますが、ロック世代の高齢化が大きいのだと思います。
まあ、好きだったバンドが活動を再開してくれるのは素直に嬉しいものです。
さて、
東京モータウンサウンド、奇跡の復活です!!
Gonna take a miracle !!!
コンテムポラリープロダクションとして80年代中期から現代まで、多くの日本の人気ロックミュージシャンのアートワーク回りを手掛けて来た売れっ子デザイナー、信藤三雄氏が70年代末〜80年代初頭に組んでいたバンド、スクーターズ。