『BLUE SHININ' QUICK STAR (星の彼方へ)/ FLIPPER' S GUITAR』 [フリッパーズ]
ども。
「ペットサウンズ」と来れば…。
今から20年前の7月に発表されたアルバムを僕は思い出します。
フリッパーズ ギターの3rdアルバム「ヘッド博士の世界塔」(1991)。
90年代の邦楽ロックを代表する名盤であり問題作。
前二作までのネオアコースティック路線から80年代後半〜90年代初頭に英国で巻き起こっていたセカンド サマー オブ ラブ〜マンチェスターサウンドへリアルタイムに急接近。
ダンサブルなグラウンドビート、ノイジーかつダウナーなギターサウンドに過去のロック/ソウルクラシックからの大胆豪放なサンプリング音源を散りばめて…。
アマチュアの音楽マニアがサンプリングマシンという遊び甲斐のあるおもちゃを使って熱に浮かされたように夢中で作り上げてしまったのが「ヘッド博士」ではないでしょうか。
商売目的で作られたとは思えません。
純粋に作りたいものを作っただけと云うか。
確信犯的なサンプリングも遊び半分の延長かもしれません。
引用を越えて盗作とも取られかねない楽曲も。
その無邪気で荒削りな勢いがこのアルバムには感じられます。
向こうみずな気分が魅力。
デモテープの段階で殆ど完成されていたのではないでしょうか。
という訳でアルバムからの後発シングル「星の彼方へ」。
黒地にのカラフルなドットをあしらったジャケットを見るだけで僕の胸は無性に高まります。
パブロフの犬みたいに。
タイトル曲はアルバムの中でも最も叙情的なロックナンバー。
ストーンローゼスの「ELEPHANT STONE」に通じるリズムパターンに、繊細なエレキギターのアルペジオ。ノイジーなギターが刻み、切り裂く静寂の純粋さ。
儚く切ないメロディと、無垢なる想いを綴った歌詞が夜空に瞬く流星をキャッチして光速で追いかけます。
この曲を聴いていると、フリッパーズ ギターの魅力と云うのはとどのつまり、小山田圭吾さんの歌声と小沢健二さんの歌詞。その魅力的な二つのミラクルとも云える組み合わせの妙なのだと思います。
サウンド云々を抜きにして。
この曲は確かミズノのCMソングとしても使用されました。
カップリングは「DOLPHIN SONG」。
コンセプチュアルなアルバムの壮大なプロローグ曲でもあります。
まず耳に入って来るのはデジャヴなあのイントロ。
ビーチボーイズの「PET SOUNDS」から「GOD ONLY KNOWS」のイントロのフレーズを渾身のコピーアンドペースト。
茫洋と刹那的なAメロが終りへの旅の始まりを告げます。
さらに。
小山田圭吾さん自身による不思議な一人多重のドゥーワップ風コーラスを橋渡しに聴こえて来るのが
バッファロー スプリングフィールドの「AGAIN」 から「BROKEN ARROW」のメロディを換骨奪胎。
この曲も組曲的な展開を持った内容ですね。
ビーチボーイズとバッファローズ。
ブライアン ウィルソンとニール ヤング。
どちらも60年代のカルフォルニアの音楽の要人。
「ヘッド博士」を聴いたときには既に元ネタとなる上記のアルバムは持ってました。
そして小沢健二さんによる歌詞の素晴しさ。
旅立ちの高揚感と所在なき想いがミックスされていて胸を掻きむしります。
♪ほんとのこと知りたいだけなのに夏休みはもう終わり。
僕の高校生最後の夏はこの曲で始まりました。
なお、漫画家とり・みきさんの珠玉の青春SF短編「クレープを二度食えば」でもこの曲の歌詞が巧みに引用されていますね。未読の方にはお薦めしたいです。
1991年の夏はとてもエキサイティングでした。
長野の高原に夏期講習へ出かけたり、東京へエルヴィス コステロのライヴを観に行ったり。ついでに六本木のWAVEを訪れたことは衝撃的でした。渋谷系は実は六本木のWAVEが総本山なのでした。
店内にカッコ良くディスプレイされた発売間もない「ヘッド博士の世界塔」。他にもオリジナルラブのメジャーデヴュー盤、ピチカートファイヴの五ヶ月連続リリースCD、そして小西さんがぷろでゅーすしたザ・コレクターズの「COLLECTOR NO.5」、そしてそして近田さんのビブラストーンの同じくメジャーデビュー盤「エントロピープロダクションズ」。山下達郎さんの3年ぶりのニューアルバム「アルチザン」。どれも大好きなアルバムでした。
これらのアルバムを聴く度に1991年の熱い胸騒ぎが蘇ります。
1990年代初頭と云えば、アマチュアバンド出身でもバブル景気&バンドブームの流れで今よりも簡単にメジャーのレコード会社と契約出来た時代。幸福な時代。
プロのミュージシャンという意識が欠如していたからこそ、フリッパーズはフリッパーズでいられたと思います。
そしてスタッフにも恵まれていました。
シュガーベイブのマネージャー、竹内まりやさんや細野晴臣さんのアルバムのディレクターを歴任された牧村憲一氏が彼らを庇護したことは大きいと思います。
その後間もなくの、突然の解散、そしてライヴツアーのキャンセルも今考えれば納得です。
プロじゃないのだから。
でもあの頃の僕はあり得ない!信じられない!でした。
1991年の秋口に届いた解散の知らせのショックは今でも忘れられません。
静岡の片田舎で、高校には彼らのことを話す相手は皆無。
僕の高校でフリッパーズギターを聴いてたのは僕だけではないでしょうか。
あの頃は今では考えられないほど、情報が少なかったです。
フリッパーズは大好き過ぎて、上手く文章になりません。
まぁ、いつもそうなのですが。
だから彼らのシングルをあまり取りあげられないのです。
それにしても冗長さ150%な内容ですね。
此所までお読み下さる方はいるのでしょうか。
お疲れさまです。ありがとうございます。
最近久しぶりにこのアルバムを聴き返しましたが、やっぱり感動しました。
完璧です。
ところで「ヘッド博士の世界塔」のコンセプトの元になるJACK TARRという小説家によるノヴェルって本当に存在するのでしょうか。
『BLUE SHININ' QUICK STAR』《PSDR-1114》《作詞/作曲 /編曲:Double Knockout Corporation》【1991】
名文ですね。素晴らしい。
91年の夏のことは僕も忘れられません。
当時、大学の3回生。
フリッパーズギター解散は青春の終わりを告げられたようでした。
実際、その秋から就職活動をスタートすることになったので。
なんて、ついコメントが冗長になっちゃいました。
by popholic (2011-07-21 23:54)
>popholicさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
共感して下さって嬉しいです。
あの解散の仕方はショックでしたが、今考えるとあれ以外考えられないくらいフリッパーズらしいやり口でした。
代替不可能な存在でした。その穴はポッカリ空いたままです。
青春は一度だけ。
by 都市色 (2011-07-24 10:08)
>yu-papaさん、こんにちは。
niceありがとうございます。
by 都市色 (2011-07-24 10:09)